2010.06/12(Sat)

アジア表現芸術と掘削作業と諦念とわたし。 

最近、アビナヤ(顔の表情のダンステクニック)のご教授をしっかりやろうとしています。

教材としてある曲目をえらびましたが、予想以上の効果を確認しています。


わたしにとっても大変勉強になっていて
多くの伝統的アジア表現芸術には「諦念(ていねん)」の裏打ちがあって
それがシンプルな動きをぶあつくみせたり場を支配することになっているのかな

と 感じています。


アビナヤのテクニックをgetするためのお稽古には心のエナジーがたくさん必要です。
生徒さんたちは、そこそこの心的経験をへて…うまく言えないけど、時々ストレスになることも
あるのではないかな…と思ったりします。

レッスンをご提供するわたしも生徒さん達にご教授する前に
自分自身の内面を掘り起こす作業をし、いくつかの心的経験を段階的にすませています。

そして、熱いことをクールに話せる冷静さ、分析力、洞察力を研ぎ澄ませて
レッスンにのぞむように努力しています。


しかしこの内面の掘り起こし作業は、いろいろなものをひっぱりだしてきます。

「諦念」にかかわる事柄は本当につらいものが多いと感じます。
子どものとき、物心ついたときからわたしは世の中に「女」として扱われ
10歳のときにはすでに心にはぶあつく鍛えられた「諦念」がありました。
だからこそ、正気を保って生きてこれたわけです。


女であるがゆえにゆるさなくてはいけなかった様々な出来事は、

攻撃者たちの謝罪がないゆえに
世の中が攻撃者たちを寛容にあつかい野放しにしてきたゆえに

今もわたしの心の中に生きているようです。


諦念 というぶあつい蓋をあけ
いま 私は自分の中の完結していない悲しみや怒りを目の当たりにし
少し苦しくなったりします。


しかし
放置していたこと、見て見ぬふりをしてきたことを、
ちゃんとお日様に当てることができてよかった。 
これでわたしは自分の人生の一部を意識をもってちゃんと完結することができます。

そして
だれかの人生の一部を、魂を動かす「ダンス」という媒体でご同伴する
ダンス講師としてよりよく機能できる見通しがしっかり立ったわけです。

心に傷があっても、完治していて 今は健康で
客観的にそれらを確認することができるのは「得」だと心から感じられる日が
もうすぐくるような気もしています。




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